アマガエルの大合笑

更新速度:ポルシェよりはるかに遅い ぴろよによるお笑いブログ ライブ多め

バカ爆走 コントの日 2018-06-04-076

イライラと蔑みの合間に

世間の広さは人それぞれ。広けりゃいいってもんじゃないけれど世界が狭い人が気を付けた方がいいのが「自分の許容量(ないし器)が小さいことを自覚していない上に他人にその狭い世界の価値観を押し付けるのは最悪」ということだ。なんだか最近その「狭い世界」とやらに留まっているのなら一向に構わないのだけれども明らかに目障りな言動をしてくる輩が多く、それを無視出来ない自分に嫌気が差している。と、そんなことを考えてたがこれからの記事にはあまり関係ない。

それでも募金は超えない・・・が

卯月の新作が見たくて足を運んでいるが1月の単独後あまり新作をやらなくなったので少し足が遠のいていたライブ。
そろそろかな、と思っていたら新作にあたった。卯月には「募金」という私の中で最高の名作があって----どう最高かというと設定・演技力・ストーリー展開の3拍子が高水準できちんと揃っているところなのだ---だからこそ以降どのコントを見ても「面白い。それでも募金は超えない・・・」と期待100%から出るセリフなのだが聞くタイミングやテンションによってはいちゃもんとも取れる感想を常々口にしてきた。ごめんなさいね、なんかいろんな人。今回見た「路地裏でー私は酒井尚史」も「面白い。それでも募金は超えない」がとてもアリだった。改めて卯月の引き出しの多さ、それに伴い隠しても滲み出てしまうポテンシャルと可能性を感じられた。BGMの使い方、彼らの才能の一つかもしれない。
しんぷる内藤・吉住の安定でハイレベルのピン芸にとても満足し、バイオニがなぜ世に広く出ないのかと頭を抱えつつ腹も抱えて笑いながら、ゲストのわらふぢなるおにはじわじわと感動、ってな総評。わらふぢなるおは同じお約束を繰り返すだけのコントかと思いきや、言葉のチョイスと間と演技で深い笑いにもっていく。さすがファイナリスト。最後の照明の使い方まで見事。

徒歩45歩程度離れたバティオスで別ライブがあるので最後の即興コーナーを全て見ることなく退散


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喋喋喋るvol.112 ゲスト:宮下草薙 2018-03-01-034

すっかり梅雨めいている6月東京ですが・・・

ジャニーズに対する鬱憤が爆発している誰がいるのかしらという他人事みたいな感想を持ちつつ
さて北朝鮮はどうなっていくのかしら。これで平和なんて言っていいのかしらアレハパフォーマンスカシラ・・・

なんて感情を持つことをさらさら予想もしていなかった3月のライブのことを今から書く。
冗談手帖という番組に宮下草薙が出た(そして非常に面白かったし色々考えてしまった)ことと
「こいつ、笑いの才能がない草薙みたいなやつだな」という輩・・・要するにとてもつまらない上にひねくれていて楽しくもないヤツ。草薙の才能には目を見張っているのにこういう例えに使うのは非常に忍びないが・・・と対峙したタイミングがばっちり合ったことがきっかけだ。


宮下草薙というコンビ

結成3年目の若手コンビ。少しフリーで活動していたが太田プロに所属した漫才師。

※新道画伯作:宮下草薙
コンビ結成間もない頃から馬鹿よ貴方はの新道辰巳が熱心に推していたこともあってネタを見る機会にたまたま遭遇出来たし、推されるだけあって面白いななんてとぼけた感想も持っていた。昨年あたりからあれよあれよと露出が増えライブには行かないお笑いファンにも知られるようになった。

とはいえこの日のトークライブの客は10名ほど。んー話題ってTV出演って売れるって・・・。
覚えているトーク内容は以下。☆印は冗談手帖内では話していなかったこと。
草薙がお笑いをはじめたきっかけのコンビははんにゃ
☆草薙の遅刻の言い訳が「グラブルやってた」というエピソードから「ちゃんと見ないと何もしないから管理するようにしている」(宮下)「もうめちゃくちゃイヤなんだけど管理するために宮下が近所に引っ越してくる」(草薙)
☆養成所の自己紹介で泥酔していたのは「さあ入学って決めたけど駅に降りた時もうすごく帰りたくなっちゃって、どうしよう、酒でも飲んだら気が大きくなるかなって飲んで入学式に出た」(草薙)
☆「すぐにそうやって俺らのことを分析する新道さんは好きじゃない。気持ち悪い」と本人を目の前にして(草薙)
初のトークライブとは思えない堂々たる姿。でも椅子があるのに落ち着かなくて立ってる。MCの新道が立っているのはまだしも「緊張で椅子に座れない草薙」というのはなんらかの印象深い特徴として私の頭にこびりついている。

ライブが終わり客もはけようとした際、草薙が袖から顔を出し急にしっかりとした口調と笑顔で「ありがとうございました」と言ったこともきちんと書いておきたい。人前に立つ出役としての自覚があるんだなという感心と同時にやはり挙動が突拍子もなくつかみどころのない人間だなという戸惑いが沸いてなかなか印象的だったのだ。ま、草薙は本当の「天才」なんだろうということでその感情に折り合いをつけている。

ニュータイプ珍獣使い

草薙はもしかしたら誰が嫌いとかではなくストレスがたまっているということを臆面なく表に出せる人なのかもしれない。で、間違いなく言えるのが天性のお笑いの才能が彼に備わっているということ。それをうまく自分で扱えていないのか扱えていないフリをしているのか私程度の人間にはわかり得るはずもない。
トークライブでというよりTVを見て色々考えさせられたのが宮下。
元ピン芸人だし清潔感のある見た目だしトーク担当だし、前に出ようと思えば出られるのに「じゃない方芸人」として宮下をタテる覚悟を感じる。
割と損な役回りを買って出ている気がする。相方の近くに住んでダメ出しして、相方にうんざりされ、お前は嫌だと言われ・・・(どこまで嘘か本当かわからないけどね)
まあ人前で多少の演出はあるかもしれないが、普通何も期待していなかったらそこまでダメ出しは続けない。ブラック企業のパワハラ上司だって、ストレスに任せて部下を怒鳴り散らすけど、なんとなく自分が気持ち悪いから部下のことを思いついたようにおだてるし、所詮指導のいう名のストレスのはけ口なので会社内で完結して家に持ち込むことはない(部下はストレスを四六時中抱えることになるけどね)。
宮下は決して飴を与えずに草薙に嫌われようが何しようがダメ出しを続ける。近所に引っ越してまでというところがすごい。
これを執着のある相方と片づけてよいのだろうか。草薙に愛はあるかどうかまではちょっとまだわからないが、少なくとも草薙の才能を信じて一緒に売れることも信じてやっていく覚悟をした芸人という風に私の目には映っている。

なんかいいなこの二人。あまり見たことがないタイプ。
珍獣使いで思い浮かぶのがオードリー若林・南海キャンディーズ山里・ゆにばーす川瀬名人あたりなのだが、彼らはいずれも相方もコンビの方向性もプロデュースしつつネタも自分で作る。宮下は多分自分がネタを作れてもネタ作りを草薙に一任しているという感じがする*1。そこがなんとも言えず新しい。
なんか本当にいいな。まず相方の才能を認めているというのがとてもいい。仲が悪いといったところでそれはあくまで見た目の話。それを寄せられている草薙はもしかしたらたまったもんじゃないかもしれないが「信頼」を感じる。「お前を信頼しているから言うんだぞ」という安っぽい責任逃れや「あの人は自分を信頼してくれているから叱ってくれるんだ」というただのストレスを逃れるために自分に言い聞かせるのとは違う「信頼」。宮下は覚悟を持ってダメ出しをしているし、草薙はそれに対するストレスをきちんと表面化する。宮下草薙の関係を「仲が悪い」とメディア的には表現したいのかもしれないが、この仲の悪さにはワクワクする未来しか感じられない。最近人に不信感を抱かざるを得ないような生活を送っている自分がみじめになってくる。馴れ合いじゃない信頼。才能に対する信頼。何度でも言ってしまうがいいな、宮下草薙。
あまりに「いい」を連発しているので敢えて触れておくが冗談手帖内のリズムネタはひどかった。ひどすぎて面白いという結局ポジティブな印象を持つことになっているんだけどね。そして冗談手帖内で過去リズムネタのお題を振られたのは過去にAマッソ・こゝろ・真空ジェシカ・・・いずれも普段リズムネタをやらなそうというわかりやすい共通点以外に認めざるを得ない「才能」や「期待」を感じるコンビが多いことも特徴な気もしている。まあ冗談手帖という番組自体、「才能」や「期待」がある芸人が呼ばれているので私の主観が強いが宮下草薙も例に違わないし、同じような感覚を鈴木おさむも持っていたら嬉しい。持っていなかったとしてもリズムネタが振られたコンビは結局深い印象を残している。冗談手帖でリズムネタ、芸人は苦労するだろうが苦労した分の爪痕は十分残せるいいテーマだと個人的には思っている。(割と賛同を得られる気もしている)
さておき、この宮下草薙をはじめキュウ・まんじゅう大帝国あたりがM-1グランプリ2018をざわつかせるダークホースの筆頭になりそうだと今のところ踏んでいる。個人的にはランジャタイ・Aマッソあたりにひっかきまわしてもらいたいのだが、なんと言ったらいいのだろう。客席からライブを見ていて感じる圧倒感やオーラからなんとなくぼんやりとこんなことを書きたくなる気持ちにさせるのである。
色々と楽しみしかない二人のことをM-1にまで思いを馳せるくらい一晩考えていた。良い夜だった

*1:2018年6月14日現在未確認の情報。きちんと確認したら追記予定

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オーシャン座 2018-06-10-079-080

新参のくせに・・・という揶揄がある。
ファンや贔屓をその年季によって新参と古参にわける悪習からだ。
肩身が狭くてなんとなくコソコソしたり、新参を揶揄する古参とやらに文句を言ってみたりと色々な経験もしたけれども、新参に利もある。
とにかく新参は乾いたスポンジのごとく知識や経験を水のようにドンドン喜んで吸収していくし、その「知らない」「見たことない」を求めてフットワークが軽い。


私が神田松之丞を認識したのが2017年10月9日。新参期間が体感的に長い気もしないでもないが(かと言ってどの分野でも古参になんか絶対なりたくないのでいいのだが)、今追いかけたいのは東京の若手漫才師・コント師(それに付随するピン芸人。事務所所属が多い)だったりするので、松之丞に対する温度と密度を低くしなければならない関係上まあそれもよしとしよう。
日付まではっきり覚えているのは飲み屋で知り合って以来懇意にしている知り合いが主催している落語会ということと、その日の落語会は昼に行く*1と約束していたのにすっかり忘れ、夜に別の予定があったにも関わらず詫びの菓子折りを持って向かったという自分の不義理とダラシなさが露呈する印象的なエピソード付だったからだ。
本当に顔を出すだけで帰るつもりだったが「神田松之丞さんだけは観ていってください」の知人の言葉を信じた。結果ギリギリだがその後の予定*2にも間に合ったし、結果今まんまと松之丞を追いかけることになっている。松之丞が公言している使命が「講談を広める」なので*3、そのほんのちいさな一点になれたので本望だ。


心理学の用語でカラーバスという言葉がある。ある色を意識すると町中でその色ばかりが気になる、転じて気になる情報はどんどん入ってくるようになると言ったところだ。ポジティブな人はカラーバスを「引き寄せ」という言葉で理解している可能性が高い。私はそもそもその「引き寄せ」という単語が持つ「うさん臭さ」にかなり抵抗があるので、10月の前*4にも既にその落語会に松之丞がゲスト出演していたことも知らず、熱心に聞いているTBSラジオで「問わず語りの松之丞」の一節がCMで延々と流れていたのにも拘わらず完全に無視を決め込む*5という「現時点で興味のないことは全く体に入ってこない」という反証でカラーバスを理解することになっている。今後修正するつもりはないのだが、私は一つのことにどっぷりと集中出来ないしそこそこ多方面に興味があるし、で何か人生で大事なものを見落としている可能性は高い。それもまた人生。

とにかくだ。鴨川にきた。

鴨川ヒルズリゾートホテル内の宴会場で行われる初の試みらしい。
まず後列にキャップとポロシャツという似たようなそして気が抜けた町ではよく見かける(父もたまにそんな格好をしていることもある)しかしこういう会ではかなり独特な身なりをした70代くらいの男性が5名前後いたのがとても印象的。人数が集まらなくて急きょ集められた地元の人だろう。誰かや何かを見に来たのではなく、なんとなくいつもの集まりでなんとなく楽しそうなことをやるから来てみたという感じである。何かに期待していない。実家が商売をやっているので「商工会の集まり」みたいな言葉になじみがるのだが、多分彼らもそんなノリでここに来ている。今一番チケットの取りにくい講談師をゆったり椅子を並べてもびっしりと詰めれば100-150人は入りそうな宴会場で、さらにゆったり椅子を並べて50人弱で見た、とそんな感じである。
出演者や開催者側からしたら好ましいとはいいがたい状況かもしれないが、私はそのレア感にワクワクしていた。
50人という人数規模も、寄席出演を続ける松之丞ならまだ当分見られる光景だと思うし、興味がないがなんとなくそこにいる人が松之丞の観客になることもまだまだあるだろう。ただしこのコンボ・コラボ、組み合わさった状態はこの先も大分レアなのではないかと思うのである。来てみるもんだ、地方公演。と言ってもここは首都圏。

ボクサーの道もあったかもしれない三遊亭金の助(20分)、ウクレレ漫談30分もあっという間のぴろき(30分)、500席くらいの会場かと思っていたと嘯く松之丞(40分)の綺麗な90分構成。120分のお達しがあったので特に2部の客は少し戸惑っていた様子。

私は芸人じゃないけれども人前で話すという立場であることが多いゆえ、寝る客・聞かない客らは目障りなことこの上なしとも思うし、それを指摘や注意ではなく己が話術だけでこちらに振り向かせたいという変なプライドもあったりする。何かを期待しているわけではない客混じりの決して多くないステージで、ぴろきの「反応が薄いことをきちんとそしてしつこくいじる」「いつの間にか手拍子を誘う」流れや、松之丞の「自分の集中を阻害するものをきちんと整理する」「それを軽く笑いにする」流れに注目も納得も関心もしたのはその普段の立場というやつのせいも多分にある。なんというか態度やマナーの悪い客を別の客が憤慨したりするのは間違っちゃいないけど野暮なことかもしれない、と常々思っている。それが助かると思っている芸人もいるかもしれないけどね。芸以外の巻き込みに時間をかけるなんていうのは本質的じゃないけどやっぱりそれも見せ場だと、だからわざわざライブに生に足を運ぶんだと私は思ったりするわけ。大分余談だね、これは。

枕ではなく本編に入ってからも2度ほど話をとめて客に「タブー」を認識させるという異常事態を笑いに変えた1部
ただその1部の客をきちんと腐してから本題に入った2部
ああレア松之丞。 落語で散々聞いていて松之丞のはなかなか聞く機会のなかった中村仲蔵はやっと聞けた、を上回る「自分の高評価を自覚するタイミング」の違いで物語にこんなに差が出るのかという感動が得られたので◎ 後客席の環境が劣悪だった(と松之丞に自覚させられた)せいか、より集中して聞けたからラッキー。
金の助がやっていた子ほめ。金明竹等々と同様、アンジャッシュ落語って勝手に思ってる。要するにすれ違いがおかしみに発展するやつ。アンジャッシュのネタよりもアンジャッシュ落語が好きなの、私。
2部とも30分のウクレレ漫談で、ただネタは1節しかかぶらずもう見事と言うしかない。R-1予選で数分から寄席で15分くらいは観たことあったけど彼は30分でも40分でも観ていたい
明らかにぴろきが好きで何をやってもハマっていたお姉さん、会が終わった後少し話したパチンコで勝ったから友達を連れてきたという70過ぎのお姉さんがかなりの講談・浪曲・浪花節好きで松之丞を「かわいい顔した坊ちゃんだけど本当に上手」と言い放っていたこと・・・ほんと色んな人が客席にいたな、こういう機会をまた持ちたいなと思いつつもほんと私はすぐ慣れたと勘違いするし、そしたら会をえらそうに選ぶようになるし・・・・うん、台風が呼んでくれた奇跡の会とでもしておこう。

で、私はまだ講談とは何か掴みきるのはおろか一端をつまんでもいない。講談をやっているときの松之丞はこの上なく格好いいし何度でも観たくなるが、好きな松之丞はと問われたら「ラジオの時の松之丞」と当分答えると思う。

*1:これまたステキな噺家さんが出る会だったのだ

*2:ま、東京若手漫才師を観に行く予定だった

*3:情報を整理せずにそう解釈しているが多分合ってるよな

*4:2017年3月

*5:CMで流れていた小さな女の子からのメール「・・・どうしてそんなに太っているのですか・・・」は相当面白く相当記憶に残っているのだがじゃあその番組を聞いてみようとはならなかったのだ

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間 ま マ

言葉とキャラクター、そして間で笑いは定義・評価されている。
殊更、間は天性の勘でさっさと身に着けるかいつまでたっても手をつけないかで一番差が出るのに見ている側が重要視する割にないがしろにされがちだ。
才能で片づけられるからかもしれない。インスタントに身につくものでもないし。
お笑いだけでなく演劇もそうだけど、間は呼吸とリズム感と声の大小と声色。
間なんて本当は楽譜のようなものに落とせる概念だろうからこそちゃんと研究したい*1。とは言えまだ間を誰も楽譜に落としていないのできちんと指導できる人も少ないんだろう。事実稽古や場数と名のつく反復体験で体に染み込ませるというのは見たことも経験したこともあるが、これが言葉で指導出来たら面白いんだわな。
これがないとまず言葉自体が伝わらない。大喜利の強い人がやってしまいがちなのだが、とてもとてもとても面白いことを言っているのに、もっというと台本にするとたまらなく面白いのに間のお陰で台無しになっている場合がある。普段の会話がとてつもなく面白いのに舞台に立つとそうでもない人は「対多数」に見せる様の間を持っていないということにもつながる。逆もしかり。大したことを言っていないのに間のお陰でとても面白くなる場合がある。
最近の賞レース、特にM-1で評価されているのはこの間だ。まだそこまではいっていないが突き詰めると皆同じような漫才に見える可能性もあるくらい、ある種の間の様式美によってM-1は審査されている。

特に言葉の魔術師と呼びたくなるような芸人さんたち。でもね、言葉自体が聞こえないことがあるの。あなたのことを好きであれば好きであるほど集中して言葉を聞こうとするけれども、間が悪いお陰で聞こえない時があるのよ。もったいない
逆を言えば、間さえつかめば大して面白い言葉が並んでなくても必ず爆笑はとれるはずよ。

反復練習ではないもっと論理的な間の体得の仕方をアウトプットすること。これが最高にして最大の夢と課題。

この記事、続編を書くか随時アップデートする可能性あり。

*1:もうそういう研究をしている企業と連携はしているのですが、いかんせん規模が小さいのと実績が提示しにくい世界なのでインプットデータの収集というスタート地点でかなり苦労しています。興味のある方にお声がけいただきたいです

講談広小路亭 2018-05-31-075

上野には寄席で演芸を見てフラッと洋食屋に入りビールとお気に入りの何かを一品
そんでまた寄席に戻るか散歩するかしてあんみつ食べて家で晩酌

みたいな非常に文化的でシャレたじいさんは存在するはずだ。
誰だい?上野で昼から飲んでいるのは高架下だなんて決めたのは。私かもしれない。
ただ初広小路亭のその前の時間でそんなじいさんと思われる人を多く見かけたので前言というか先入観を撤回しなければならない。
正確にいうと高架下は御徒町方面、洋食は寄席や高島屋が密集する方面・・・かもしれないね。


私の中で寄席と洋食はセットだ。
実際上野と新宿にお気に入りの洋食屋がある
池袋にも(もう閉店してしまったしデパートの中だったので若干邪道ですが)あった
浅草・・・寄席に行くときには洋食屋に寄るようにしているのですがなぜかここ!ってのがない

ま、私の話はさておき。
かつてはハイカラと呼ばれたであろう洋食が郷愁を誘いつつだんたんと古きよきものになっていく、
そんな時代の流れは嫌いじゃない。


神田松之丞の策略にまんまとハマり「講談広まってきているよマップ」の塗りつぶされた点のごとくの私ゆえ
講談にはとんと縁がなく、寄席に通っていても目では見ていても心はキャッチしないと言うか
歴史という科目や考え方が好きではないという理由で理系にすすんだみたいなところもあるので
人生にフックしないと決めていたというかなんというか、とにかくハマると思わなかった講談にまんまと心奪われているわけだ。



神田一門、と呼んでいいのだろうか。松之丞の流れでよく目にする阿久鯉はいなかったのでドキドキするが。
昨年秋頃初めて彼の芸を目にしてから松之丞単独やら二人会には足を運んでいたけど講談会は初。
大好きなねえさんと先生が出来たとさ。


何かや誰かを好きになると行動範囲と物の見方が増えるものだ。
視野は広いままでどっぷりと。
そんな風に何かを好きである姿勢を大切にしたい。


あ、そうそう「芸人が(TVで言わされるならまだしも)ツイッターで政治のこと語るのかっこ悪い」とラジオで毒づいていた松之丞。
あたしは早けりゃ5年後遅くても15年後に松之丞が政治のこと嬉々として語っていてもきと彼のこと好きですぜ。
いいんじゃないの?芸と政治、分断させなくても

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