アマガエルの大合笑

更新速度:ポルシェよりはるかに遅い ぴろよによるお笑いブログ ライブ多め

間 ま マ

言葉とキャラクター、そして間で笑いは定義・評価されている。
殊更、間は天性の勘でさっさと身に着けるかいつまでたっても手をつけないかで一番差が出るのに見ている側が重要視する割にないがしろにされがちだ。
才能で片づけられるからかもしれない。インスタントに身につくものでもないし。
お笑いだけでなく演劇もそうだけど、間は呼吸とリズム感と声の大小と声色。
間なんて本当は楽譜のようなものに落とせる概念だろうからこそちゃんと研究したい*1。とは言えまだ間を誰も楽譜に落としていないのできちんと指導できる人も少ないんだろう。事実稽古や場数と名のつく反復体験で体に染み込ませるというのは見たことも経験したこともあるが、これが言葉で指導出来たら面白いんだわな。
これがないとまず言葉自体が伝わらない。大喜利の強い人がやってしまいがちなのだが、とてもとてもとても面白いことを言っているのに、もっというと台本にするとたまらなく面白いのに間のお陰で台無しになっている場合がある。普段の会話がとてつもなく面白いのに舞台に立つとそうでもない人は「対多数」に見せる様の間を持っていないということにもつながる。逆もしかり。大したことを言っていないのに間のお陰でとても面白くなる場合がある。
最近の賞レース、特にM-1で評価されているのはこの間だ。まだそこまではいっていないが突き詰めると皆同じような漫才に見える可能性もあるくらい、ある種の間の様式美によってM-1は審査されている。

特に言葉の魔術師と呼びたくなるような芸人さんたち。でもね、言葉自体が聞こえないことがあるの。あなたのことを好きであれば好きであるほど集中して言葉を聞こうとするけれども、間が悪いお陰で聞こえない時があるのよ。もったいない
逆を言えば、間さえつかめば大して面白い言葉が並んでなくても必ず爆笑はとれるはずよ。

反復練習ではないもっと論理的な間の体得の仕方をアウトプットすること。これが最高にして最大の夢と課題。

この記事、続編を書くか随時アップデートする可能性あり。

*1:もうそういう研究をしている企業と連携はしているのですが、いかんせん規模が小さいのと実績が提示しにくい世界なのでインプットデータの収集というスタート地点でかなり苦労しています。興味のある方にお声がけいただきたいです